成功したいひよっこビジネスマンが頑張る話《日々のPDCAを回す》

都内勤務のコンサルタントです。行動を続けることで日々自分のスキルと知見を磨いていきたいです。連絡先:kochirayuki1005@gmail.com 多くの方からご相談をいただき感謝申し上げます!

情けは人のためならず、社会の為である

困っている人を助けるということについて考えてみようと思う。

 

その行為そのものが良い悪いという話や偽善どうのというものも一旦無視して、困っている人を助けるという行為は全体最適に近づく行為だと思う。

 

そもそも、なぜ人助けだったり困っている人を助けるという行為が賞賛されるのであろうか。

人間が社会的動物であり、社会生活を上手に営んできた遺伝子が残っているため、他者との共存意識の高い行為に対して行為を覚えるのだろうか。

 

実際は、困っている人を助けるのは良い事、と教えられるから良いことだと思うというように後天的に刷り込まれているに過ぎないと思うが、このことについて全体最適という観点で見た時、確かに社会全体で見たときに効率的だと感じたので本稿。

 

以前に、お金を少し融通した方が全体で見た時の幸福の総量が大きいという記事を書いた。

www.ygov.tokyo

 

人助けもこのお金の融通の話と同じだと感じた。

 

つまり、ある人にとっては凄く困難で、解決のために多大な労力を要する行為であったとしても、別の人にとっては特に時間もかけることなく簡単にできてしまう行為がある。

 

例えば、高いところにあるものを取るために、身長が足りない人にとってはジャンプしても無理なら、はしごを持ってきたり、ロープを持ってきたり様々な労力や時間がかかるが、そこに手が届く人においては数秒の行為である。

 

この時、身長の低い人がはしごやロープを用意する必要がなくなったために得た時間と労力は非常に大きいが、身長が高い人が失った時間はほんの数秒である。

 

このとき、社会全体で見れば非常に多くの時間が創出されているということである。

 

これを繰り返して行っていくことによって、社会全体で多くの時間が積み上がり、社会全体の成長スピードが上がる

 

この時、誰もが特技を持っているから助け合おうなどと言うつもりはない。

 

誰か一人がずっと助け続け、その一人が多くの時間を失ったとしても社会全体で見ればプラスになっているということが言いたい。

 

だからこそ、我々は人助けを見ると嬉しく思うのかもしれない。