成功したいひよっこビジネスマンが頑張る話《日々のPDCAを回す》

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人生そのものが車輪の再発明だが、それでいい

車輪の再発明に関する記事を書いた。

車輪の再発明を防ぐサービス - 成功したいひよっこビジネスマンが頑張る話《日々のPDCAを回す》

 

車輪の再発明を防ぐために、情報の共有ツールが必要と書いたが、そんなことは文字通り時代遅れだったのかもしれない。

 

インターネットの発達と、グーグルを頂点とする検索エンジンの成長によって情報の共有スピードは以前とは比較にならないほど進んだし、我々の社会は情報にあふれている。

つまり、私が車輪の再生産を防ぐようなツールが欲しいと思っていること自体やはり車輪の再生産であり、すでに情報共有システムは私が今から考えてもほとんど何の意味も無いほどに整備されている。前にも書いたが、グーグルがそうだ。

 

という訳で、車輪の再生産を防ぐツールどうのという話は止めておこうと思う。

 

しかしどこかこの話が頭に引っかかっているのは何故だろうか。

 

おそらく、我々の人生そのものがマクロな視点で見たときに再生産でしかないからなのではないだろうか。

 

【命は結局再発明】

 

我々の人生もそうだが、例えば虫とか動物の一生もそうだ。

 

一匹のカエルの一生を考えてみた時、彼の一生は正直となりにいるカエルとなにも変わることはない。ただ、彼が捉えたエサにとってはそのカエルの存在が一生を左右する程に大きな存在だった。

そのカエルの一生を車輪の再生産とみるか、かけがえのないオリジナルと見るか。

遺伝子を次の世代につなぐ役割も、彼にしかできなかったとみるか、彼がいなくとも他のカエルが取って代わったのだがら変わらないとみるか。

 

つまり、完全にオリジナルに見える一生そのものであっても大局からみれば車輪の再生産でしかないということだ。

 

車輪の再発明がもたらす効果】

 

今度は逆に、ある人が今普通に使われている例えば車輪を全く見た事も無い人が車輪と全く同じモノを作ったとしよう。その時、その発明は車輪の再発明で全く意味がないものだろうか。

 

その車輪はもしかしたら、これまでの作り方とはたった一つの工程が異なるかもしれない。発明をした彼は、その発明を通じて他の新しいものに対する知見を少しでも得たかもしれない。

 

もし、彼にもう車輪はあるから作らなくていいと言っていたら、その一つの工程や彼の新しい知見は生まれなかった。

 

つまり、車輪の再発明を恐れることで社会全体にとっての損失が生じる可能性があるのではないかということだ。

 

以上の二つの例をあげて言いたかった結論としては、

車輪の再発明を恐れてはいけない。

 

そもそも我々の人生も車輪の再発明にすぎないのであるから、再発明をいたずらに恐れる必要もないし、再発明によってわずかでも自分に知見が得られるのであればそれでいいのではないだろうか。

 

しかし、我々の人生は短い。

成し遂げたい大きなゴールにたどり着くまでの時間をもっともっと短くするというときに、今あるものを使えないだろうかと考える姿勢を持っておくことがこの寓話の最も良い使い道だろうと思う。