成功したいひよっこビジネスマンが頑張る話《日々のPDCAを回す》

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お金の相対性について考える お金は価値の尺度ではない

このブログの中でお金ってそもそも権利の量だよねという話をしてきた。

 

この記事では全体最適を考えるのであれば、お金の価値が変化するだろうという話をしたい。

 

現代の日本では、制度としては頑張った(結果を出した)分だけお金を得ることができて、社会的に与えられる権利も多くなるという構造がある。

もちろんこの制度は素晴らしい事であって、多くの人が努力をし自分の夢や成し遂げたい事を達成したり、お金をたくさん得て自分の欲を満たしたりということを行っている。

 

・お金が足りないと言っても、そんなに多くのお金が足りない訳ではないのではないか

 

一方でお金が足りなくて不幸になる人もたくさんいる。生活に困って自分の身を危険にさらしたり、大切な人と離れなければならなかったり、お金が足りなくて命を絶ってしまう人すらいるというのが現実である。

 

彼らに足りなかったお金の量について考えてみた時、その不足している金額というのはお金の総量やお金を持っている人からすれば実はそんなに多い金額ではないのではないだろうか。

 

いま5万円が足りない、200万円あれば、さらにもっと多くなって1000万円あれば一人の人生が劇的に好転するという時、その当人一人にとっては非常に大きな金額かもしれないが、例えば年収1億円の人にとっての5万円や200万円は人生が変わる程に大きな金額ではない。

1000万円であっても、例えば大きな企業からすればその1000万円が無かったとしても会社や社員が生死について考えなければいけないという金額ではない。

 

そのとき、お金の価値は各人にとって全く異なるということに改めて目を向けようと思う。

 

同じ5万円が一方にとっては人生の大きな転換点になるようなものであって、もう一方においては特に気になる訳ではない金額であるという時、その5万円がどちらにあるべきかということを考えてみた。

 

A.お金の保有は彼らのこれまでの人生の結果であり、その結果が保有金額という形で保存されている事が大事だ

→これはおおよそ現在の制度。もちろん前者の彼が5万円分なにかを我慢していたり、努力していればよかったという話ももっともである。

 

この時、全体幸福総量をコントロールしている要素はお金ではなく個人の必要性に応じた努力や焦燥感といった極めてファジーなものである。

 

しかし、社会として整備する際にはこのファジーなものよりもコントロールができる要素に社会の全体最適を目指すべきではないだろうか。

 

このとき、私の主張は下記である。

 

B.人生の幸福度を価値の尺度としておき、社会全体の幸福度の総量を価値と置く

→この場合には後者の余っているお金を前者に振り分ける事で前者の幸福度が上昇し、後者は大きな変化が無いとすれば富を必要性に応じた再配分を行う事で社会全体の幸福度を最大化させることができるのではないだろうか。

 

つまり、同じ全体の金額を変えることなく全体の幸福総量が増加するのであれば必要なところに必要なだけの富の再配分を積極的に行った方が望ましいのではないかと考えるのである。